第12回 「文楽」鑑賞会
・日時:平成29年7月23日(日)午後2時〜6時
・会場:国立文楽劇場
・演目:「源平布引滝」
     義賢館の段 矢橋の段 竹生島遊覧の段 九郎助住家の段
・参加者 松江・出雲からの遠来の方を含め23名



文楽鑑賞会も回を重ねて12回目となりました。年に一度の鑑賞ですが、それなりに文楽の見どころ、聴きどころも分かってきて、鑑賞の楽しみも増えてきたような感じがします。
今回の「源平布引滝」は平家が全盛を迎えた頃の時代を背景に、敗れた源氏の白旗の運命と、源義仲の誕生秘話を、実在の人物と史実を元に、作者(並木千柳(宗輔)・三好松洛の合作)が自由奔放、奇想天外な創作を加えた力作で、4時間近くの長丁場でしたが、目まぐるしい展開に引き込まれました。いつも登場人物の関係などが、十分分からないまま見終わることもあるため、今回は、作品がよく理解できるように、事前にあらすじを読んでいましたので、話の展開に付いていくことができました。
感想をまとめようと思いましたが、早々に松本会長から参加者の皆さんに送られた記念写真に添えて、簡潔に分かりやすい感想文をいただいておりますので、どうぞこちらでご覧ください。松本会長の感想文
私は少し視点を変えて、私なりに印象に残った場面などを、書いてみようと思います。いわば「感想文:突っ込み版」です。

1. 作者のサービス精神について
 義賢館の段で、九郎助、小まん、太郎吉の三人が館を訪ねてきます。この館で奉公している奴折助が、実は7年前か
 ら行方不明になっていた小まんの夫であったことが分かり連れ戻そうと思って訪ねてきたのです。この折平、実は本
 名を多田藏人行綱と言って、川西市方面にお住いの方なら、なじみの深い多田源氏の嫡流で源氏の有力武将です。
 九郎吉は葵御前に折助を戻してくれるよう懇願しますが、小まんが太郎吉に、お前もお願いするようにと言いますと
 、太郎吉は「ととさんに背負われて帰りたい、抱かれたい」と言います。すると、九郎助は「お前よりも、先にかか
 さんが抱かれたい」と茶々を入れます。九郎助にきわどいせりふを吐かせて、客を笑わせようとする作者のサービス
 精神が窺われ、300年前の作者に親しみを感じました。

2. 義賢の謎解きのような行動に??
 折助を多田行綱と見破っている義賢は、自分の本心を表すためか、いきなり庭の小松を引っこ抜き、手水鉢に叩きつ
 けます。手水鉢の縁は欠けますが水はこぼれません。これは、「二つに割らなかったのは、水の「源」(源氏)を絶
 たないためだと説明しますが、なんのこっちゃ、もっとストレートに本心を明かせばいいのに、行綱も観客も
「はあ?」状態です。大事な植木や手水鉢までダメにしなくてもいいものを。

3. 待宵姫と多田行綱のその後は?
 義賢館で登場する、義賢の娘である可憐な待宵姫ですが、折平(多田行綱)といい仲になっていて、小まんの登場で
 ヤキモキしていました。二人はその後どのような運命を辿るのでしょうか。松本会長も気になっていたようなので、
 ネットで調べました。
 この作品は今回鑑賞した2,3段のあとに4段があり(音羽山の段、松葉琵琶の段、紅葉山の段)、その中では、最初
 出ていた多田蔵人行綱が再び主役として登場します。
 そして待宵姫とは正式に夫婦になり、小桜という娘を儲けていることが分かりました。
 行綱は、院を救い出し平家追討の院宣を得ようと、妻と娘を鳥羽の後白河院の離宮に忍び込ませましたが、妻の待宵
 姫はどうやら清盛の命を狙って返り討ちにあって亡くなったようです。
 この待宵姫といい、後で触れる小まんといい。夫と源氏のために命を懸け、非業の最期を遂げる悲劇の女性ですが、
 作者は一人では物足らず二人もヒロインを作りました。

4. 小まんの大活躍
 矢橋の段では源氏の白旗を託された小まんが、平家の差し向けた追手と大立ち回りをします。その時の追手は「その
 他大勢」扱いで、普通、人形は三人遣いですが、一人遣いの素朴な人形が使われています。文楽用語では「ツメ」と
 呼ばれるそうです。
 小まんはこのツメたちを、ちぎっては投げ、ちぎっては投げの大奮闘、まるで子供のころ読んだ木曽義仲の奥さんの
 巴御前を思わせるような女丈夫ぶりです。疲れてくると「白旗を渡すから命だけは助けて」と言って油断して近づい
 たところを、また痛めつけるというなかなかの策士です。最後はさすがに力尽きて、白旗を口にくわえ琵琶湖に飛び
 込み泳いで逃れます。

5. 悪役瀬尾十郎
 九郎助住家の段で斉藤実盛とともに、葵御前の産む赤子の検分にやってくる瀬尾十郎は、異彩を放つ人物で興味を惹
 かれました。いかにも悪役らしく、嫌味で頑固な人物を表す頭(かしら)ですが、これは「陀羅助(だらすけ)」とい
 う頭です。
 一方の斉藤実盛の頭は、いかにも誠実で聡明な感じで、色白の好男子です。名前は残念ながら聞き漏らしました。ネ
 ットで調べると、どうも「検非違使」か「孔明」だったと思います。
 この瀬尾が、死んだ小まんが、自分が捨てた娘だということを知るや、まるで正反対の「善人」に変身し驚かされま
 す。孫にあたる太郎吉に手柄を立てさせ、生まれた源氏の跡取り(義仲)の家来にとりたてられるように、自らの首
 を討たせます。時代劇では悪人は最後まで悪人で終わるのが普通で、このように180度反対の極め付きの善人に変わ
 るのは例がなく、観客は驚いたことでしょう。作者はなかなかのものです。

6. 干将・莫耶の剣とは?
 瀬尾十郎の厳しい追及に、窮地に立たされた九郎助と女房は、なんと葵御前が産んだと言って見せたのは、太郎吉が
 見つけて持ち帰っていた「かいな」(小まんの)でした。
 瀬尾十郎は、夫婦の窮余の策を「そんなばかなことがあろうはずはない」と言って「ムハハムハハムハハハ…」と
 迫力十分に笑い飛ばします。そのときの床と舞台を見比べますと、玉也、咲大夫両師匠の息がピタリと合って、まさ
 に語りと人形の表情が一体となり、さすがと感心させられました。これにたいして斉藤実盛が「いや、世の中には不
 思議なことが起こることもある。昔、中国のあるところで、あまりの暑さに耐えかねて鉄の柱を抱いて寝た后が産ん
 だのは鉄の塊だったという。その鉄でできたのが「干将・莫耶の剣」というものだ」と突拍子もないことを言います
 。瀬尾十郎は、ばからしく思いながらも、一応帰って報告すると言って座を去ります。
 さて、この「干将・莫耶の剣」ですが、作者の創作なのか、実際故事にあるのか、やじうま精神で調べてみました。
 すると、後漢初期の「呉越春秋」という歴所に、この剣についての逸話があることを知りましたが、「鉄の柱を抱い
 て」という話は出ていないようです。後年日本に伝わって「今昔物語」に取り入れられたとき、后が鉄の柱を抱いて
 鉄の塊を産んだという話が入れられたようです。
 魯迅は、呉越春秋のその逸話をもとに「眉間尺(みけんじゃく)」という作品を書いています。そして、魯迅の弟子
 であった我らが先輩(大正11年松江中学卒)で中国文学者の増田渉が翻訳したものが「阿Q正傳」などとともに
 「魯迅作品集. 第1巻」に収められています。この際、読んでみようと思いましたが、残念ながらこの本は大阪の図書館
 にも島根の図書館にもありません。

以上、長々と自分勝手な、とりとめもない「突っ込み版」の感想を書き連ねました。お付き合いありがとうございました。 押田良樹