文楽鑑賞会にご参加いただいた皆様
松 本 耕 司
前略 先般の文楽鑑賞会にご参加いただきまして、有難うございました。松江・出雲からの遠来の方もあり、またご家族、ご友人多数のご参加をいただき、感謝いたしております。
ここに、当日の写真を同封いたしますのでご査収くだされば幸いです。
さて、皆様も時代背景の掌握にはひと苦労されたのではないでしょうか? 私も「保元・平治の乱」とか、武家の台頭期の頃は、歴史好きではありますが、頭の中はグチャグチャです。
観劇開始後、暫く経ってから、源頼朝と義経の父である源義朝と、その義朝の弟である源義賢(今回登場)と、義賢の子である木曽義仲(今回誕生)の人間関係が漸く整理できました。
帰宅後、ネットで検索してみましたが、実際には義朝と義賢兄弟は対立関係にあり、義賢は義朝軍に今の埼玉県で滅ぼされていますから、相当の脚色がなされていると感じますが、これはまあ仕方のないことでしょう。
一方、太郎吉(今回登場)が義仲の武将「手塚光盛」として、加賀の国の篠原の戦い(1183年)で平家方の武将として出陣した老将、斉藤別当実盛(今回登場)の首を取ったことは、「平家物語」でも史実として有名です。首を洗ったら白髪を染めて戦っていたことが分かったとか、義仲はこれを知って命の恩人を討ちとったことになると号泣したことなどは・・。
また、手塚光盛(太郎吉)は、諏訪神社に仕える金刺氏の一族で、信州は上田の手塚地区を本拠としていたとされているようですが、戯作では斉藤実盛が「小まん」の「腕の塚」から「手塚」という名前にした名付け親になったりとか、あの短刀は「金刺の刀」であったりとか、自由自在に物語に仕上げ、やがてくる「篠原の戦い」での白髪首の話の伏線をたっぷりと入れ込んでいます。
これをつくった戯作者は、きっとこれだったら大衆は喜ぶだろうと、本当に楽しかったんだろうなぁと、その構想力に感心いたします。ニヤリと笑う戯作者の顔が見えるようです。ほかにも最初に出てきた可愛いらしい「待宵姫」は、その後、一体どうなったんだろうか?と大変気にはなりますが、素人の中途半端なご報告はここまでとさせていただきます。
今後は、おそらく押田顧問がいろいろご調査の上で、いずれHPでご所感を掲載いただけるものと思いますので、皆様には、最終は是非HPもご確認いただきますようお願いいたします。いずれにしても、文楽劇場側が前口上に言う、「源氏の白旗が義仲の手に渡る経緯を丁寧にご覧いただく」は、そのとおりだったなと、私なりには満足しましたが、皆様はいかがだったでしょうか。
近畿双松会はこれで前半の活動を終え、いよいよ、9/24歴史W(彦根)、10/29里山H(交野)、11/26総会懇親会、12/5ゴルフ、1月宝塚、3月落語と、総会懇親会をピークとする後半の活動に入りますが、引き続き、ご支援のほどよろしくお願い申しあげます。
猛暑はこれからが本番ですが、皆様にはくれぐれもお身体大事でお過ごしくださいますよう、心からお祈り申し上げます。 有難うございました。
草々