「次の50年へ・・あれこれ」 

                                                          松本耕司(北4期・事務局長)

 先日終了した「50周年記念総会」は160名もの方々にお集まりいただき、めでたく盛況裡に終了したが、何年もの間100名に届かないような総会が続いてきただけに、未だに「あれは夢ではなかったろうか?」と思い出しているのが率直なところである。
 私は平成14年以来、事務局で「北高世代の拡大」というむつかしい課題を仰せつかり、毎年七転八倒してきたが、近畿双松会を維持、発展させていくには相当以上の努力がいると考えている。尤も、それゆえに、やり甲斐を感じるのかもしれないが・・。
 
 例えば、「簡単なことではない」と考える点は、少し考えただけでもいくつか挙げられる。
 第一は、今や北高は往時の松高の版図の三分の一しかなく、先輩達との間には圧倒的なマンパワーの違いがあり、この違いは簡単に克服できる話ではない。
 第二は、松中・松高・北高の三代130年余の歴史と伝統を享受するメリットは何者にも代え難いほど大きいが、一方で歴史の長さがもたらす世代間の意識の違いは多面多様であり、若い世代への浸透はこれも又、簡単な話ではない。
 第三は、肝心の郷里松江との時間的距離が昔より飛躍的に近くなり、近畿で集まる必然性が薄れてきているということである。同窓会にとっては郷里は遠いほどいいのが真理であり、近畿で集まることのよさを実感できる企画を毎年考えるのは、なかなかむつかしいことである。
 第四は、誰しも経験してきたことだが、同期会(横)には行くけれど、当会のような年次を貫く同窓会(縦)には行きにくいし、行っても面白くないだろうという先入観を塗り替えるのは容易ではない・・などなど。                       その他、別の観点からは「本来、少数派の郡部?出身者に比べ、多数派の旧松江市内出身者の参加率が低い?から会員数が拡大しない」という仮説を述べる人もいる。それがあるとすれば、幼少時からの松江や北高に対する憧れの度合いの差なのであろうが、これに対する対策?は、あるようでない。(因みに私は郡部出身で、確かにお城や天神さんのお祭など松江そのものに結構憧れていた・・)
 ともあれ、以上のようにむつかしいという理屈をいろいろ考えると、近畿双松会がここまで継続してきたことは驚嘆に値することになるが、それは乱暴にまとめれば、所謂「伝統の力」であると言わざるをえないのだろう。
 直接的には、先輩方がこの会を続けていきたいという統一した強い意思を持っておられたこと。又、ベースとしては松中・松高・北高と時代や学校の形は違えども、それぞれの卒業生がそれぞれの母校に感謝と愛情と誇りを感じてきたことがあるだろう。その総和が伝統として、近畿の地でも歴史の糸をつないできたのだと思いたい。
 又、この長い歴史の間、常にその時々の現役の生徒達(現在なら、今の北高生達)が安定して文武の成果を挙げてきたことも大きい。「伝統」が今も息づいていることを生徒達から教えられれば、先輩というものは気合が入るものなのである。

 このように考えると、これからの近畿双松会の課題は、50年守り育てたこの会を無理のない形で将来につないでいくことに尽きるし、それは挑戦するに十分な価値があることであると思う。
 そのイメージはと言えば、時代と社会の変化に順応し、年代の差を超えて・・などのキーワードが頭に浮かぶが、それも又、皆で考えていけばいい。おそらく、その基本はいろいろな理屈よりは、こんなにも長く続いたこの会をお互いの共有財産として、皆が「慈しむように大事に思う」ことではないだろうか。松江北高という母校が存在する限り、毎年、前途有為な後輩が輩出されてくる。それを「楽しみ」とし、「慈しみ」の気持ちで迎えることさえ忘れなければ、それで十分なのではないかと考えたいが、皆さんのお考えはいかがであろうか?   以上


■追記:
前述の同期会(横)と双松会(縦)の関係については、私は事務局として、「横」が出発点、基本であることは言うまでもないが、「縦」には「歴史や伝統を伝え、先輩を大事にし後輩を慈しむ」という「横」にはない機能や役割があり、人生勉強になるよとお答えしたり、近畿双松会懇親会の中でミニ同期会を開催したら一挙両得?だよ・・などとお誘いをしたりすることにしている。
 「縦」にも「横」にもそれぞれの意義があり、縦糸・横糸綾なして初めて美しい織物もできるのだから、「縦」にももっと関心を示して欲しいとは思うのだが・・。