第11回歴史ウォーキング 平成28年9月25日 「真田丸の故地を訪ねて」

今回はNHK大河ドラマ「真田丸」に因んで、大坂の陣、真田幸村ゆかりの地を巡り歩きました。
真田丸と言えば、今夏、松江歴史館の収蔵物の中に、全国的に見てもこれまで知られていない真田丸の絵図が発見されたニュースは記憶に新しいところです。
また、松江藩松平家初代藩主である松平直政公は、14歳で大坂冬の陣の真田丸での戦いに初陣を果たしましたが、その見事な若武者ぶりを真田幸村が賞賛し、軍扇を投げ与えたという故事があり、その軍扇は松江歴史館で展示されています。そのように真田丸と松江とは深い因縁があると言えます。

当日は幸い好天に恵まれ、9時にJR大阪環状線森ノ宮駅に27名が集合しました。近くの公園での行程説明の後、天王寺区ボランティア協議会所属の3人のガイドさんに引率され、年長組、年中組、年少組に分かれスタートしました。

当日の行程(予定)は下記の通りでした。(一部立ち寄らなかった場所もあります)

◆<大阪冬の陣>JR森ノ宮駅⇒かささぎの森神社(森之宮神社)⇒ 細川ガラシャ屋敷跡⇒玉造稲荷神社⇒三光神社・宰相山公園・ 真田山陸軍墓地⇒真田山小学校の壁⇒どんどろ大師(善福寺)⇒ 心眼寺⇒真田丸顕彰碑⇒明星学園(真田丸)⇒高津高校北テニスグランド(真田丸の南限)⇒円珠庵(鎌八幡)⇒ 空掘通り⇒タクシーにて移動⇒ 昼食場所「天繁」
◆12:30昼食「天繁」⇒ <天王寺七坂>真言寺坂⇒源聖寺坂⇒口縄坂(夕陽丘高女跡、 織田作之助碑)⇒(伊達、陸奥、小松の旧墓地、藤原家隆塚)⇒ 大江神社(愛染堂勝鬘院)⇒愛染坂⇒清水坂(清水寺の舞台、 玉出の水)⇒ <大阪夏の陣>四天王寺⇒天神坂⇒安居神社⇒逢坂⇒一心寺⇒茶臼山⇒堀越神社⇒JR・地下鉄天王寺駅


今回は松本会長には、自ら下見もされるなど、入念に行程を検討していただきました。ありがとうございました。

鵲森宮(森之宮神社)
用明天皇・穴穂部間人皇后(聖徳太子の両親)を主祭神とする
森之宮公園で行程の説明など。ガイドさんが3人、年齢順に3班に分かれて行動することに
玉造稲荷神社
この付近は古代勾玉造りの玉作部の居住地だった。大阪城の守護神として崇敬を集めた。
慶長8年(1603)3月に豊臣秀頼が神社再興時に奉納した鳥居。
元は本殿正面に位置したが、阪神大震災により一部損傷を受け、上部、脚部に分け現在の場所で保存。
豊臣秀頼公像

石段下の玉垣に、野球ファンなら知っている、かつての毎日オリオンズの孤高の天才打者「榎本喜八」の名が。(右から三つ目)
発見者:松本会長、検証者:押田(奥さんの名前が「伸子」であることをネットで確認、あの榎本喜八に間違いないと結論)それにしても、何故東京人榎本喜八がこの神社に寄進を。
三光神社
鎮座地の丘は宰相山とも真田山ともいう。かつては大坂城の出城「真田丸」が置かれ、大坂の陣のときには真田信繁が大坂城から当地までの抜け穴を掘ったといわれている。(ウィキペディア)
本殿
七福神の一人寿老神(武内宿祢)が祭られている
真田幸村、陣中指揮姿の銅像
大坂冬の陣で真田幸村が砦(真田丸)を築き、大坂城に通じるトンネルを作ったと伝えられている。(真偽は不明)
幸村像の後ろにある。
真田山小学校の校庭下のコンクリート壁。この辺りは要塞の名残か高低差が激しい。運動会をしているらしく歓声が聞こえていた。
真田山小学校の校章は大阪市の澪標と真田の六文銭を組み合わせたもの。

              
心眼寺
元和8年(1622年)、白牟上人により大坂城出丸の跡地に真田幸村父子の冥福を願って建立された。
真田幸村の墓
「真田左衛門佐豊臣信繁之墓」
説明版には下記のように書かれていた。
信繁は一般に「幸村」として知られているが、最後の書簡にも「信繁」と署名しており、生前幸村と名乗った事はないと考えられる。死後、時を経て幸村の名が流布されたものであり、本墓碑は生前の確実な諱である「信繁」を採用した。
明星学園校庭に面した道路に建っている「真田丸顕彰碑」
この辺りまでが真田丸の区域だったというのが定説になっている。
上の顕彰碑の向かい側興徳寺の門前で合流した、1班・2班の記念撮影(年長組と年中組)
鎌神社
「悪縁を断つ」寺として有名。
境内には入らず。
鎌を打ち付けると霊験があるという言い伝えがあり、カメラをズームアップして覗くと木にたくさんの鎌が打ち付けられているのが見えた。
タクシーに分乗して、昼食の店、谷町9丁目の「天繁」へ。
「天王寺七坂」のひとつ口縄坂
坂の下から見ると坂の起伏が蛇(くちなわ)のように見えることから名づけられたという。今回は坂の下までは行かなかった。
織田作之助の文学碑がある
芭蕉の句に「口とぢて 蛇坂(くちなはざか)を下りけり」があるがどのような意味だろう。
「天王寺七坂」のひとつ愛染坂
文字通り、坂の下り口にある勝鬘院(愛染堂)から命名された。
四天王寺の中門(仁王門)後方は五重塔の最上階と相輪
安居神社 祭神は菅原道真
真田幸村が戦死した場所
  大坂夏の陣、元和元年(1615年)真田幸村はこの近くで松平忠直(松平直政の異母兄)の配下、西尾仁左衛門の槍に刺されて戦死。49歳。大正8年に碑が建てられた。 
三光神社の勇壮な陣中指揮の像に比べ、こちらは、戦いに疲れ果て腰を下ろしている姿で対照的だ。
茶臼山
冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田幸村がそれぞれ本陣を置いた。
茶臼山公園から、あべのハルカスがよく見える
堀越神社
祭神は崇峻天皇(聖徳太子の叔父)



天繁での記念撮影