第9回 「文楽」鑑賞会
・日時:平成26年7月20日(日)午後2時〜5時25分
・会場:国立文楽劇場
9回目を迎えた文楽鑑賞会は、ゲストを含め29名というたくさんの参加者がありました。この数年の恒例となった「夏休み文楽特別公演」の第2部(昼の部)の鑑賞で、演目は「平家女護島」の「鬼界が島の段」と、「槍の権三重帷子」の「浜ノ宮馬場の段」、「浅香市之進留守宅の段」、「数寄屋の段」、「伏見京橋妻敵討の段」でした。いずれも近松門左衛門の作品です。
「平家女護島」は、平家物語の、流刑先の鬼界が島に残された俊寛僧都の話を元にしていますが、近松は架空の人物である、海女の「千鳥」を登場させ、また重盛からの赦免状があり俊寛も帰れることになったが、船に乗れるのは3人までという命令に、一緒に流されていた少将成経と夫婦の約束をしていた千鳥を船に乗せるために、悪役の上使妹尾を殺害して自ら罰として犠牲的に島に残る道を選ぶという筋書きにして物語を面白くしています。
「槍の権三重帷子」は松江藩で実際に起こった事件を題材にした作品です。皆さん、ご存知でしたか。
作品では笹野権三という槍の遣い手で美男の藩士が、江戸詰のお茶の師匠の「おさゐ」という奥方と、職務上のことで会っているうち、権三に好意を持つおさゐが、ちょっとした行き違いから、権三を責めてトラブルになり、権三の同僚で、その「おさゐ」に横恋慕する性格の悪いライバルがそれを窺い知り、ふたりが不義密通していたことにされてしまうのです。
この奥方「おさゐ」は、現代から見ると実に自己中な女性で、大切な夫の武士の一分を立てるため、権三に妻敵討で夫に討たれてくれと懇願し、やむなく権三は承諾し二人は駆け落ちの形で京に上ります。そして伏見京橋で夫浅香市之進に遭遇し二人は討たれるという物語です。
文楽作品では、作品の作られた時代の価値観、倫理観などが現代と違うため「何でそんなんで死ななあかんねん」と思うことが多いのですが、当時としては思わぬ運命に見舞われた男女の定められた不幸が観客の共感を呼んだのでしょうか。
最初の「浜ノ宮馬場の段」では宍道湖と嫁ヶ島らしき景色が舞台いっぱいに描かれていました。「浜ノ宮」は末次神社で、馬場は今の末次公園のあたりだったのでしょうか。
実は筆者も不勉強で、この近松作品が松江藩で実際にあった事件を題材にしているとは知らなったので、もうちょっと知りたくなり、直木三十五の「敵討十種」の中の「槍の権三重帷子」をざっと読んでみました。(これは国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で読むことができます。)
それによると、「権三」は雲州松江藩松平出羽守中小姓、齢24歳の池田文治、「おさゐ」は江戸詰茶道役正井宗味の妻「おとよ」で36歳。事件は享保2年(1717年)7月、妻敵討ちの場所は伏見京橋ではなく、大阪高麗橋だったということです。権三は槍の遣い手となっていますが、文治は一尺七寸五分の脇差を振り回して正井宗味に立ち向かったらしく、検視では12か所に小さい手傷を負っていたといいますから、それ程剣術の腕が立ったというわけでもなさそうです。直木も感じているように、主君や親の敵討ちと違って、討つほうも討たれるほうも何となく恰好がつかないような感じがします。見物人のほうもあっぱれとかいうよりも、別の興味のほうが大きかったのではないでしょうか。この事件は当時浪花では大変な話題になったそうです。
近松門左衛門はこの事件からわずか1か月後に、これを浄瑠璃にして竹本座で上演したということですから、大変な早業で近松の天才性が窺えます。
文楽の世界では人間国宝竹本住太夫が今年4月に89歳で引退しましたが、今回の「平家女護島」の「千鳥」の人形遣い吉田蓑助は昭和8年生まれ、「槍の権三重帷子」の「おさゐ」の吉田文雀は昭和3年生まれです。日本の伝統美と技を守るのはまさにれらの人々でしょう。高齢にも拘らず体力のいる人形遣いをこなす姿に、我々もまだまだ頑張らなければと思った次第です。