近畿双松会・会員の皆様へのお知らせ
母校の「双松」の植え替え工事完了、「新双松コンビ」の時代へ
(会報による誤報のお詫びと、現状のご報告)
近畿双松会 事務局長 松本耕司(北4=高16期)
昨年(2009)11月29日の総会の席で、庄司肇・双松会会長から、赤山の「双松」について、「初代は枯れて涙を飲んだが、二代目もおかしくなってきたので、学校周辺で育てていた同じ二代目を植え替えるべく根まわしをしている」というご挨拶がありました、
その後、本年(2010)3月、平成21年度(2009)「近畿双松会報」の最終編集の際に、そのお話が気になり、まだ以前の松のままであることが確認できましたので、会報の25Pに一昨年(2008)撮影の写真を掲載し、「心配された右側の松も根まわしによって元気を回復したとか・・。頑張れ“右松”!!」として印刷をし、皆さまにお届けをいたしました。
しかし、やがてすぐにそれが大きな勘違いであったことに気づかされました。双松会本部から4月になって植え替え工事が始まったという連絡があり、金平憲幹事長(北4=高16期)からは、4月中旬からの松の根堀りに始まる詳細な工事のお写真もいただきました。
そして、最終、金平幹事長からこの5月12日をもって「でっかい立派な松」の植樹を完了して、「新双松コンビ」がスタートしたことのお知らせもいただきました。又、植樹と同時進行で、「石垣等は根を掘り出す時に壊し、土を入れ替えしながら改修する方法で直された。水抜きを作り、石段・石垣も再組み直しをした。」とのことで、抜本的な対策と全面的なお化粧直しがされたということが確認できましたので、ここにお知らせを申し上げます。詳しくは添付の写真でご確認いただければ幸いです。
近畿双松会としては、不十分な調査のまま、「近畿双松会報」で誤った情報をお知らせしたことになりますので、深くお詫びを申し上げますとともに、ここに訂正をさせていただきます。
西川津校舎で過ごされた約30年間に近い方々(私もですが)には、高校生活と双松が直結しないのが残念ですが、赤山復帰後、既にこの双松のもとで過ごされた方々も早や30年を超える状況になりました。年月の進行がいかに早いかを実感しますが、この双松が「文武両道、質実剛健」の校訓・校風のシンボルであることは、どなたにもご異論はないことと思います。
会員の皆さまも帰省の際には、面目を一新した「新・双松」を、是非ご自分の目で見ていただければと存じ、現状のご報告を申し上げる次第です。
◆なお、既に、昨年11月の双松会「会報」第30号に、双松会井原泰常任幹事(高3期)が「二本松の現状と対策」の一文を掲載されていました。「双松」の歴史、今回の工事の経緯について、詳しくご説明されていますので、以下にその抜粋をご紹介いたします。
この一文を、その時、しっかり読ませていただいておれば、今回の誤報はなかったものと痛く反省をしている次第です。
〜抜粋〜
「一世の二本松は明治30年、旧松江藩家老の塩野門之助氏から寄贈を受けたもので、旧制松江中学、松江高校、松江北高校のシンボルとして長い間親しまれてきたが、昭和62年と平成13年に松喰い虫のため枯れ死し、惜しまれつつ伐採された。樹下に芽生えた幼松の中から二本の松を選抜し、育てて大きくしたものが現在の二世の松である。
この松を健やかに育てるために、歴代の学校当局、専門家に依頼して適切な処置を施してきたが、数年前から東側の松の枝の一部が枯れ始めた。詳細な専門家の確認の結果、松喰い虫の存在が確認され、薬剤の投与、消毒に努めたが枯れ死の状態が進み、切断をせざるをえなくなった。
今後の対策としては、@不具合の原因と思われる土台の中の一世の松の残った根、それに付着したキノコなどを全部除去し、新しい土に入れ替えたい。A元気で健康な北側の松は残し、校舎南側にある二世の松(一世の実生松で大きく成長しており、根回しも実施済み)を持ってきて、生徒の通用門から見て綺麗に見えるように東側の松の植え替えをしたい。
これにかかわる費用は「北高の緑を守る基金」から出資する予定をしているが、新しく植え替えた二本の松が元気に育ち、松江北高の新しいシンボルとして成長することを願ってやまない。
植え替え前 平成20年10月撮影 |
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植え替え後 平成22年5月撮影 |
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残っていた一世松の根 一世の松は明治30年、旧松江藩家老の塩野門之助氏から寄贈を受けたもの |
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一世の松の残った根を掘り出し土を入れ替えた | |
大きな根の掘り出し工事のため石組みも作り直し排水工事も施した | |
植え替えられた双松 | |
植樹をする庄司肇双松会会長 | |
植樹をする井原泰新生松の会座長(高3期) |